こんにちは、あんにゅいです。
私は統合失調症という精神疾患を患っています。
私の場合の症状と、私がこの病気とどのように向き合っているかを、綴っていきます。
客観的には
霜が降りて、そろそろ雪も降ろうかという寒々しいある冬の日の朝、精神科デイケアの駐車場に車を停めた私は、ルームミラーで髪型の確認をして、車から出た。
すると駐車場の入口の辺りから、同じ精神科デイケアを利用している顔なじみのHさんが、建物と挟んで間にいる私の方に向かって歩いてくるのが、目に入った。20メートルほど離れた位置にいるHさんに私は身体を向けて軽く手を挙げたが、Hさんは無反応のまま歩いてくる。
視線はやや下を向いていて、目は虚ろだ。そしてあの表情。あのHさんは、今、この現実の世界にはいない、と私は察した。
私は努めて明るく、優しい声色を使って、「Hさん、おはようございます」と挨拶の言葉を発し、私のすぐ近くまで来たHさんを迎えた。ほんの一瞬だけラグがあって、Hさんは驚いたような反応を取って、慌てて「おはようございます」と返した。Hさんの目には正気が戻っていた。
「眼鏡が曇っちゃって、誰かいるなぁって思ったけど、Iさんだって分かんなかった」と、Hさんはマスクをしているせいで自分の吐息で部分的に白くなったレンズを指差し、バツの悪そうな顔を作って苦笑いをして、誤魔化して見せた。
誰かいるなぁって思ったって言うけれど、あなたの世界は最初から、私を認識していなかったじゃないか。そうやって私でもすぐに嘘だと分かるようなことを言って、平気を装うあなたの佇まいがあまりにも健気だから、私は泣きそうな感情がこみ上げてくる。
Hさんは統合失調症なんだろう。私は直感でそう思った。それは自分が統合失調症だから、Hさんの様子を見ていると、おそらく自分と同じ症状なんじゃないかと感じる、という程度の根拠だ。Hさんにもきっと妄想ないし幻覚などの症状があって、さっきのHさんはそれに捉われていたから、私に気付かなかったのだろう、と思った。
彼
私にも統合失調症の症状の、妄想がある。私の場合の妄想とは、「他人に嫌なことを言われたから、表には出さないけど心の中でやり返してやって、心の衛生を図る」という、健康な人でもやっていそうな思考の、病的なバージョンであると理解してほしい。要は内心で怒っている状態だ。
当の本人は怒りが表に出ないように努めているが、出てしまうケースもままある。これのおかげで「統合失調症の人は怒りやすい」と思っている人は多いだろうし、実際に怒りっぽい人は少なくはなく、私もその内の1人だ。
私はその妄想を、「彼」と表現することにしている。病気の症状を自分とは切り離して、病気として対象化した表現だ。私がそうしている理由は2つある。1つは「その方が楽だから」。もう1つは「その方が救われるから」。
「その方が楽だから」の説明をする。病気は、これは病気なんだと自分で識別できる方が、より前向きな治療が可能だ。今、自分は酷いことを考えているけれど、これは正気の自分が考えているのではなく、「彼」が考えているのだ、と区別できる方がいい。その区別する工程で、症状を「彼」と表現するのは、病気と対峙する上で私にとって合理的なのだ。
「その方が救われるから」の説明をする。妄想の中では私は酷いことを考えるが、こんなことを考えてしまうのは正気の私からすれば、つらいことだ。自分はこんなに程度の低い人間なのか、と自分に失望する。私だって、考えたいと思ってそんな酷いことを考えているのではない。そこで、「彼はこんなに酷いことを考えているけれど、一方で正気の私は彼に大変迷惑している」と「彼」のせいにできれば、私の心は幾分かは救われるのだ。
フランスの小説
「彼」のことを私が初めて主治医に伝えたとき、「これは表現なんですが」と私は前置きをした。主治医は最初目を丸くしたような顔をしたが、話を進めるうちに興味深そうにメモを取りながら、私の話に耳を傾けてくれた。そして、僕の患者さんの中に、過去にもう1人、症状を「彼」と表現した人がいた、と言った。
続けて主治医は、その患者さんは、おそらく僕が診てきた患者さんの中で一番頭の良い患者さんだった、と語り始めた。その人は京都大学の出身で、語学が堪能で6ヶ国語を修めたそうだ。ある日、その人が小説を読んでいたので、「何を読んでいるの?」と主治医が声を掛けたら、それはモーパッサンの『il(彼)』というタイトルの、短編集の中の一編だったという。
フランス語で書かれ、翻訳されていないままの小説だったが、フランス語も堪能なその人は、熱心に読んでいた。その人もまた、統合失調症の症状を「彼」として、対象化して病気と向き合っていたのだ。主治医は原文のままでもいいからその小説を読んでみたいと思い探したが未だ見つかっていないと私に言い、私も興味を持ちインターネットなどで探してみたが、やはり見つからなかった。
私の中には「彼」がいる。多分、Hさんの中にも「彼女」がいるのだろう。あの時のHさんのあの虚ろな目、あの表情が時々脳裏をかすめて、その度に私はやるせなく思い、つらくなる。Hさんの中の「彼女」は、どんな世界をHさんに見せているのだろうか。