はじめまして、管理人のあんにゅいです。
当ブログにご来訪くださいましてありがとうございます。
このページでは私について書いていきます。
私は、こんな人です。
会社員時代と闘病生活
算数が得意
子供の頃から数字が好きでした。
お金の計算が割と得意で、親とスーパーに行ったときなどにお釣りの計算をパッとしてみせると、褒められて気を良くしていたものです。
大学生から東京近郊で一人暮らしを始め、理系の分野に進みました。
卒業後は単身のまま都内の企業に就職しました。
当時としては花形だったIT関連企業です。
ここまでは順風満帆で良かったのですが、ここから私の人生は下降していきます。
ブラック企業
私には人の期待に応えたいという気質があります。
配属当初は与えられた仕事をそつなくこなしていくのですが、仕事をすればするほど、仕事の量は増えていきました。
仕事を片付ける → できると思われて量を増やされる → 期待に応えたいから頑張ってこなす → 更に量を増やされる
という流れでした。
ここに頼まれると断れないという私の弱さが加わり、キャパシティが限界を迎えるのは時間の問題でした。
定時で帰るなどあり得なく、朝は8時に出社、夜は終電間際に退社する日々を送りました。
残業代は殆ど付きませんでした。
肉体的にも精神的にもすっかり追い詰められ、自ら命を絶つことを考えるほどに体調を崩した私は、田舎の両親にすがりつくように辛さを打ち明けました。
そして、心配した両親に促され、私は精神科の門を叩くことになりました。
統合失調症
精神科での診断の結果、告知されたのは統合失調症という精神疾患でした。
診断書を持って会社に報告し、辞める方向で話は進んでいき、就職から約3年後に正式に退職しました。
東京のマンションを引き払い、実家に帰りました。
実家の両親は「もう頑張らなくていいぞ」と温かく私を迎え入れてくれました。
このときほど親の気持ちが嬉しかったことはありません。
この日から私は療養生活に入りました。
私の病気はなかなか快方には向かいませんでした。
両親の愛情は温かく、とてもありがたいものでした。
しかしあまりにも心地の良いぬるま湯で、私はその状況にずっと甘えていました。
甘えてしまったがゆえに、私の自立は妨げられ、日々を無為に過ごしてしまいました。
学生時代に覚えたパチンコを、連日連夜打ち続けていました。
幸いにも計算が得意だったため、トータルでプラスとなり、一財産を築くことはできました。
しかしお金がいくら貯まっても幸せは感じられず、気持ちが晴れることもなくくすぶっていました。
気付くと、実家に帰って来てから10年の年月が経っていました。
それだけの途方もなく長い時間が、何もせずにただ過ぎ去ってしまっていました。
そんなある日、父が病気で倒れ、亡くなりました。
そして気持ちを立て直す間もない父の四十九日の頃、今度は母が病気で亡くなりました。
立て続けに親を失い、突如として私はひとりぼっちになりました。
目覚め
10年もの間ぬるま湯に浸かっていた私は、両親の死によってぬるま湯の外に出ることを余儀なくされました。
最初は途方に暮れました。
守ってくれる存在がいなくなり、悲しくて、寂しくて、不安でした。
両親のところに自分も行ってしまおうとさえ思いました。
しかし、周囲の支えもあり、何とか持ちこたえました。
精神科の主治医の勧めで、精神科デイケアに通所することになりました。
精神科デイケアとは、精神疾患を持つ患者たちが、将来自立できるように、社会復帰を見据えて、治療を行う場所です。
通ってみると、私と同様に心に病を持つ、様々な利用者さんがいました。
私はそこで在籍期間を重ね、利用者としては徐々にベテランの側になっていきました。
ある日、精神科デイケアに新入りさんが入ってきました。
その新入りさんは、入ったばかりなので勝手がわからず、困っている様子でした。
そこで私は、努めて優しく、穏やかに、笑顔で、「ここはね、こうするといいですよ」と助け船を出しました。
するとその新入りさんの不安で一杯だった表情がぱあっと明るくなり、私に言いました。
「ありがとう」
そのとき私の感情は激しく揺さぶられました。
味わったことのない幸せでした。
私は、これが幸せなんだと思いました。
自分が働きかけることによって相手が救われ、「ありがとう」と言ってもらえたら幸せと気付きました。
これからの人生は、この幸せのために生きていきたい。
そう思いました。
明るい未来に向かって
相手を救って「ありがとう」と言ってもらうために、私に何ができるだろうかと考えました。
人生に10年もの空白のある私に、できることなんか無いんじゃないかと思いました。
不意に子供の頃を思い出します。
そういえば、私は算数が得意で、お金の計算なんかも大好きだっけ。
お金の貯め方、使い方が上手だねと、よく褒められたっけなあ。
そう、私はお金が好きだし、お金の話が得意。
それならば、その「好きだし得意」を活かせばいいのではないか。
考えはそこに行き着きました。
お金について考えるようになり、お金のことでできることに関心は向きました。
そして、お金についての相談業務を行うFP(ファイナンシャル・プランニング)の存在を知りました。
私はこのFPの勉強をしたい。
将来FPになれるかどうかはわからないけれど、FPの勉強は私の将来にとって確実にプラスになりそうだ。
そう判断し、現在はFPについて学習しています。
目標のために。
相手の幸せのために。
自分の幸せのために。
日中は精神科デイケアに通所し、終わったら図書館に寄ってFPの勉強をする日々を送っています。
病気になって「明るい未来が来ることはもうないんだ」と泣いていた頃からは想像もつかないほど、今はとても前向きで、充実しています。
(2020年2月17日)
*ブログ立ち上げ当時(2018年8月4日)の自己紹介記事はこちらです。