かけっこで負けて「足の速い奴って腹立つよな」

こんにちは、あんにゅいです。

小学生時代のとある日を振り返りながら、「勝者を貶めること」の是非について、私なりの持論を語ってみます。

 

小学生時代の運動会

私は極度の運動音痴です。

学生時代、体育の授業や運動と名の付くものはあまり好みではありませんでした。

この日も小学校の秋の定番の行事、運動会が開催されていて私は憂鬱でした。

そのとき、私はかけっこの種目に参加していました。

一所懸命走りましたが鈍足の私は言うまでもなくダントツのグループ内最下位で、選手としての役目を終えた私はまだ残っているグループの選手たちが走っているのを冷めた目で眺めていました。

すると、同じく最下位組筆頭のクラスメイトが、同じく走り終えて最下位の称号を得た後、私に近寄り話しかけてきたのです。

「足の速い奴って腹立つよな」

 

語彙も表現力も勇気も無かった

威張って言えることではないのですが、単純な傷のなめ合いということでしたら、私としては望むところです。

しかし、勝った人を悪く言うのは違うと思いました。

そして私は足の速い人に対して腹が立つとは思いません。

持って生まれた才能もあるのでしょうが、足の速い人にはそれなりの努力があるはずだからです。

しかし当時の私にはそれを伝える語彙も表現力も、そして勇気も無く、ただ愛想笑いをしただけなのでした。

 

それはとてもかっこ悪い

なぜ勝った人を悪く言うのは違うと思うのか。

それは。

「あなたが勝ったのはあなたの足が速いからではなく、私の足が遅いからです。足の遅い私に感謝してください。」と言っているようなものだと思うからです。

それはとてもかっこ悪いことのように感じられます。

そしてそんなことを言っていたら自らの成長のチャンスを潰すことにもなるのではないでしょうか。

そうではなく、「今回は負けたけれど次は勝てるように頑張ろう」ですとか、「かけっこでは敵わないけれど、僕は別の分野で勝負する」などと考える方が、よっぽど建設的だと私は思います。

僻みや妬みは、夢や希望は生み出さないのです。

 

ZOZO前澤社長のSNS炎上騒動

僻みや妬みに関連するのですが、最近よく目にするニュースにZOZOの前澤社長のSNS炎上騒動があります。

確かに彼は足が速く、そしてSNSで「俺は足が速いんだぜ」と自慢したかもしれません。

その物言いや振る舞いが癇に障るという気持ちも、全くわからないというわけではありません。

しかし、そこで僻んだり妬んだりしてSNSを炎上させるのではなく、前澤社長より足が速くなることを考える方が自分のためになるのではないでしょうか。

そして前澤社長よりも足が速ければ、彼がSNSで自慢したところで、「俺より足が遅いくせに何を吠えてやがる」で済ませられる問題だとも思います。

素直に相手の努力や能力を認めてあげることも、大切なことではないでしょうか。

小学生時代のあの日、私は語彙も表現力も勇気も無く、自分の言いたいことが言えませんでした。

その頃の自分と比べた今、少しでも語学力が向上していて勇気も持つことができ、そして「足の速い奴は腹立つ」ということを言わない大人になれていたらいいな、と切に思います。