【パチスロ思い出話】その1. ハナビ ~ホールデビューした日~

こんにちは、あんにゅいです。

高校時代、パチンコホールに初めて入店した日のことを書いていきます。

当ブログでのパチンコの定義

【2019年6月6日追記】

パチンコパチスロまとめて「パチンコ思い出話」としていましたが、「パチンコ思い出話」と「パチスロ思い出話」にカテゴリ分けしました。

「タイトルにパチンコとあるけど、ハナビはパチンコじゃなくてパチスロだろう」と思った方もいるかと思います。

そうなのですが、当ブログでは便宜上パチンコとパチスロをまとめてパチンコと表現することがあります。

世間ではパチンコやパチスロを嗜まない人の方が圧倒的に多いです。そういった人は、「ホールで遊戯すること」をパチンコパチスロどちらを打つかとは無関係に「パチンコをする」と表現することがあります。彼らにとってパチンコとパチスロは似たようなものなのであり、厳密に区別したりはしなかったりします。

当ブログは投資に関するブログでもあり、上記のような人も読むかもしれません。

そういった理由から、いちいちカテゴリ分けするのが面倒といった側面もあり、パチスロであろうとここではパチンコと表現する場合があります。

ハナビとは

ハナビ(アルゼ)は1998年に登場した4号機Aタイプのパチスロです。いわゆる初代ハナビですね。

ハナビの魅力や特徴は書ききれないほどあります。

私がその中からピックアップするのなら、「た~まや~」ランプの存在です。

「た~まや~」ランプはリール部分右にあり、ボーナス成立後の毎プレイ6分の1の確率にパスすると音もなくひっそりと点滅します。確か、ボーナス成立プレイでも点滅する可能性があったかと記憶しています。

当時初心者だった私としては、怪しい出目や派手なフラッシュが頻発し始めて、「ボーナス入ったのかな?」とドキドキしているところにランプが点滅、というパターンが至福でした。

この「ボーナス成立を告知するランプ」という概念は当時まだまだ世の中に浸透しきっておらず、ランプが点滅しているのに放置されてしまっている台を拾うことも何回もありました。今じゃ考えられないですね。

ハナビのボーナス確率と機械割は下記の通りです(Wikipediaより)。

設定BIGREG機械割
11/289.891/420.1092.6%
21/277.691/420.1096.2%
31/264.261/420.1098.1%
41/252.061/420.10101.0%
51/244.541/390.10102.8%
61/240.941/374.09104.9%

機械割を見ると、「こんな辛い台誰が打つねん」と思われると思います。しかしそれは適当に打った場合のシミュレーション値であり、フル攻略で臨めば設定1でも機械割は100%を(微妙にですが)超えました。

設定1をつかんでも等価であれば理論上は負けず、設定判別法を駆使すれば高設定も狙うことができる。それに遅れやフラッシュといった演出と出目との絶妙な絡み。これらの要素から、玄人からも絶大な人気を誇る台でした。

私のような初心者から玄人まで虜にしたこの台は、今現在でも5号機にその血を残し、歴史に残る大ヒットマシンとして知られています。

設定判別法については下記にコラムを書いておりますので良ければご参照ください。

【パチスロ4号機】小役カウンタ・減算値を利用した設定判別法

ホールデビュー

ハナビを打ってみたい

高校3年の冬、大学合格を決めた私はホールに行きたくてうずうずしていました。ゲームセンターのメダルゲームも楽しかったのですが、それ以上の刺激を求めていたのだと思います。

打つ機種は別に何でも良かったのだとは思っています。

ですが当時話題となることが多かったハナビという機種を打ってみたいなあと漠然と考えていました。「今どきの若いもんは皆ハナビで稼いでる」という情報をよく耳にしていたからです。

その情報は、目押しを駆使してフル攻略で臨み更には設定判別法も用いる、ということに基づいたものだったのですが、当時の私には知る由もありませんでした。

早い話が、適当に打ってても勝てるという勘違いをしていたのです。

父の存在と軍資金

今現在も決してクリーンなイメージはないパチンコ業界ですが、当時は今にも増してダーティなイメージがありました。

しかも私は高校生です。一人でホールに入るというのはそれはそれは勇気がいるものでした。なので父を誘い、連れ打ちをすることにしました。

父はオカルトをこよなく愛する、どこにでもいるオカルトおじさんでした。パチンコに対するマインドを学ぶのにはいいのですが、勝つための知識や技術を学ぶのには正直向きません。

しかしそんなことは当時の私には関係がありませんでした。要は一緒に打ちに行ってくれる人がいればそれで良かったのです。

父は大学受験を頑張ったご褒美として、10000円という軍資金を私にプレゼントしてくれました。「10000円分だけ打ってみよう」と自分のなけなしのおこづかいから軍資金を用意していた私にとって、それは涙が出るほど嬉しいものでした。

こうして、父から貰った10000円と自分のおこづかいから出した10000円、併せて20000円を握りしめ、父とともにホールに入っていったのでした。

ハナビを打つ

2台並んで空いている台を適当に選び、父と隣り合わせでハナビに着席しました。

パチスロに関する知識が乏しかった私は、当然ながら全開適当打ちです。

ビギナーズラックというべきか、打ち始めると程なくしてBIGボーナスを射止めました。この時の、ゲームセンターのメダルゲームでジャックポットを当てたときよりも高い高揚感を覚えたのが、今でも忘れられません。

あまつさえ、「このまま閉店まで当たり続けてえらいことになるんじゃないか」という勘違いまで始まってしまった始末です。ポジティブなのでしょうか? 何か違う気もします。

やはりそれはあくまでも勘違いなのであり、出玉は全て飲まれてしまいました。追加でお金を入れるも、ものの2~3時間ほどで軍資金の20000円を使い切ってしまいました。

設定1を打っていたのだとして、機械割92.6%の条件で打ち続けて勝てる道理などどこにもないのです。

父にギブアップを告げ、私たちはホールを後にしました。

悲しみの味

私はひどく落ち込んでいました。

20000円というのは高校生にとっては大金です。

しかもその内の10000円は、父の愛情とも言うべき好意によるものです。

それをわずか2~3時間で失ってしまったことに、罪悪感のようなものを覚えていました。

私たちはホールからの帰り道、ラーメン屋に寄りました。

落ち込んでいる様子の私を、父は見かねたのでしょう。

父は私にこう言いました。

「勝てるかもなんて期待してるからいけねえんだよ。打つときは、『遊ばせてもらいますよ』っていう謙虚な気持ちでいなきゃあ、ダメだ。」

その父の言葉は20年経った今でも忘れていません。

しかし、その場の私にはその言葉も届かず、私はただうなだれるだけなのでした。

注文した塩ラーメンが私たちの前に運ばれてきました。

今日の塩ラーメンは、敗北の味。

しょっぱい。

それは調味料での味付けによるものとは違う、涙の味がした気がしました。

【パチスロ思い出話】シリーズの記事は下記の通りです。