【パチンコ思い出話】その8. CR冒険島 ~人生初の20万勝ち~

こんにちは、あんにゅいです。

20年以上前、確変2回ループが全盛の時代がありました。

『CR大工の源さん』などに代表される、大当たり時1/3の確変抽選にパスすると、以後2回の確変が確定する機種です。

出玉もフルカウントなのでとても多く、運良く確変ループに恵まれれば、出られないくらいのドル箱要塞が築かれることもありました。

昨今の機種の出玉事情からすると考えられないですが、早い話がバラツキが大きかったのです。

そんな爆裂機種で、良い方に傾いてくれたときのエピソードを綴ります。

 

(C)三洋物産

 

CR冒険島とは

CR冒険島(三洋物産)は1995年に登場したデジパチです。

当時としては斬新な、発生すれば激熱となる大当たり予告のフラッシュ予告や、始動すると確変大当たり確定となる再抽選機能を携えていました。

各設定における初当たり確率は下記の通りです。

 

  • 設定1…1/360.2
  • 設定2…1/390.2
  • 設定3…1/419.8

 

ほぼ設定オール3で営業されていたと私は思っています。

初当たり確率が1/400を下回るというのは恐ろしいことですね。

 

回らない♪ 当たらない♪ つまらない♪

昔のパチンコは演出がシンプルな台が多いです。

冒険島とて、予告やスーパーリーチ等の演出が存在するとは言え、最近の機種と比較すればとてもあっさりとしています。

そして初当たり確率は1/400前後。

この条件が揃うと、初当たりに恵まれていないとき、実に退屈な時間を過ごすことになります。

その上回らない台だったりするともう最悪です。

当たらない回らないではイライラが禁じ得ないでしょう。

冒険島の変動は、「テレレレレ♪ テレレレレ♪ テレレレレ♪」という停止音とともに左→右→中の順に絵柄が停止します。

冒険島を打ちながら、この停止音に合わせて「回らない♪ 当たらない♪ つまらない♪」と心の中でつぶやくのが、当時の私や私のパチンコ友だちの間で流行っていました。

波の荒い機種は、出ている時は最高ですが、その帳尻はそれ以外のところで合わせられます。

そのくらい、勝てないときのつまらなさときたらなかったのです。

 

うっはうは

パチンコ歴が1年にも満たなかった当時、私は3000円のカードを握りしめてCR冒険島に腰かけました。

打つ台は別に何でも良かったと思います。

勝ち負けももちろん大切なのですが、それ以上にパチンコを打つという行為自体が楽しくて仕方ないという時期でした。

打ち始めると、3000円のカードを使い切らない内にフラッシュ予告が出現しました。

この予告はいわゆる大当たり予告で、発生した瞬間に大当たり期待度が約70%にまで跳ね上がる激熱予告です。

「おおっ!」と心の中で叫びました。

そしてテンパイしたのは確変絵柄。

ここで当たるのと外れるのとでは、勝負結果に天と地ほどの差が付きます。

私の心臓は激しく鼓動しました。

息をするのさえ困難になり、鼻だけではなく口でもぜえぜえと呼吸していたと思います。

そして液晶画面では見事確変絵柄が3つ並びました。

もう、ゲームセンターのメダルゲームでジャックポットを当てたとき以上の興奮状態です。

そして、この確変が10連以上の連チャンをしました。

まだ午前中なのに、この時点で終日勝負が確定です。

持ち玉で閉店まで大好きなパチンコを打っていられるという事実に、私の胸は高鳴りました。

自販機で缶ジュースを買ってきて勝負を再開します。

するとその後もハマリ無しで初当たりを引き続け、確変比率も1/3を確実に超えています。

午後9時過ぎ、気付いたら私の周りには見たこともないくらいのドル箱が積み上げられていました。

終盤、いつもの「回らない♪ 当たらない♪ つまらない♪」ではなく、今日に限っては「当たり過ぎ♪ 続き過ぎ♪ 楽し過ぎ♪」とリズムを取っていました。

いつもの負けていた日々は、今日のためにあったのだと思えました。

勝負を終えた私は店員を呼び、店員と一緒にドル箱をジェットカウンターの前まで運びます。

そして、「これいつ流し終わるの?」という量の玉をジェットカウンターに流し、最終的にカウンターに表示された玉数は8万発を超えていました。

この店は2.5円交換ですから、換金すると20万円を超えるということになります。

レシートを受け取り興奮冷めやらぬ私は、家に電話し母と姉を呼びました。

そして、「好きな景品貰ってよ」と大盤振る舞いで2人を迎えます。

こんな機会はもう2度と無いかもしれないと、幸せのお裾分けをしたかったのです。

そして母は季節の景品の桃を1箱、姉はよくわからないブランドのバッグを貰いました。

そして、まだ残業で会社で働いている父のために、私は缶ビールを1箱貰いました。

それらを貰った上で特殊景品を換金した結果、私は約20万円の現金を手にしていました。

楽しい思いをして1日過ごせて、大切な家族と喜びを分かち合え、そして大金を手にすることができて、この日はとても幸せでした。

これだからパチンコはやめられません。

この後、しばらくズルズルと負けていくことになるのは当時の私には知る由もなかったのですが。

とにかく、人を1人パチンコ中毒にするには十分なインパクトのある出来事でした。

しかし家族を呼んで景品を配るとか、なーんだ私ってば超いい奴ですね。

 

 

【パチンコ思い出話】シリーズの記事は下記の通りです。

 

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