こんにちは、あんにゅいです。
精神科デイケアで懇意にさせていただいているとあるメンバーさん(Aさんとします)と、休憩時間にお茶を飲みながら雑談をしていたときのことです。
普段、私たち患者同士はあまり踏み込んだ話はせず、当たり障りのないことを話題にすることが多いです。
治療の妨げになる、プライバシーにかかわる、といった理由で、医師やスタッフがあまりいい顔をしないからです。
しかしこの日はスタッフが少なくちょうどこのとき周りには人がおらず、お互いの体調が良かったこともあり、話は弾みました。
話の中で、Aさんは私にある悩みを打ち明けてくれたのです。
悩みとは
Aさんは私より6つほど年上で、来年小学1年生になる娘さんがいます。
Aさんと娘さんは、ここ地元でAさんのご両親と今は住んでいます。
旦那さんは都内で単身働いているのですが、ご夫婦の「家族3人で暮らしたい」という想いから、来年4月からAさんと娘さんも都内に移り、新しい生活が始まることが決まりました。
新しい住まいも購入し、これから引っ越しの準備を進めていくところなのだそうです。
しかし、Aさんが精神科デイケアに通っていることからもわかるように、Aさんは精神疾患を抱えています。
Aさんの悩みとはこうです。
来年春から、新しい土地で、新しい生活が始まる。
今は両親が家事などをしてくれるのでいいが、これからは私がしなくてはならない。
朝、主人と娘を送り出し、昼間は家事をこなし、そして夕方主人と娘を迎えなければならない。
体調が悪いときも必ずあるだろう。
そんなとき、私は良妻賢母でいられるだろうか。
非常に不安だ。
。。。と、いうものです。
私の場合大変だった
Aさんのその話を聞き、私は「生活スタイルが突然変わるのは大変だよなあ」と思いました。
私は3年前の夏、34歳のときに、父と母をほぼ同時期に亡くしています。
それまで私は経済面でも精神面でも両親に依存しきって生活していました。
お金なら持っているくせに家にはほとんどお金を入れない、家事もほぼ全て母に任せっきり、というなめくさった生活をしていたのです。
それが両親が亡くなったことで、お金の管理は全て自分でしなくてはならなくなりました。
それだけならいいのですが、母がいなくなったことで自分の冬物の服がどこにしまってあるかもわからないという世にも情けない事態になってしまったのです。
亡くなってからわかる親のありがたさ。
あれから3年以上経った今でこそ、1人でもそれなりには生活できるようになりました。
しかし、そうなるまでが大変でした。
悲しみに暮れる暇もなく、日々は容赦なく襲い掛かってくるからです。
家には私1人なので、私が動かなければ事態は何も変わりません。
むしろ家事をしないと家の中がお化け屋敷化していくだけです。
突然生活スタイルが変わることを余儀なくされた私は、「これまで少しでも家のことをやって、経験を積んでおけばよかった」と思ったものです。
私なりの精一杯のアドバイス
それを踏まえた上で、私にできる精一杯のアドバイスをしてあげたいと思いました。
Aさんの悩みに対して適当にお茶をにごしておくこともできましたが、人の真剣を無下にしたくないと思ったのです。
それから、普段人に頼られることのない私にとって、悩みを打ち明けられたことが嬉しかったというのもあります。
私はAさんにこう言いました。
「ある日突然生活スタイルががらりと変わるのは本当に大変だと思います。その日が来るのは今からわかっているわけですから、少しずつでも、新生活にシフトしていけるように今から始めていった方がいいかもしれませんね。お料理とか、お掃除とか。もちろん体調と相談しながらですが、頑張ってみて損はないと思いますよ。」
言ってから「しまった」と思った
精神疾患を抱えている人に向かって「頑張れ」と言うのはタブーとされています。
健康な人から見ると精神病患者は頑張っていないように見えるものらしく、悪気は無く応援したい気持ちで「頑張れ」とついつい言ってしまいがちです。
しかし、それが精神病患者には苦痛になります。
実は精神病患者には頑張り屋さんは多く、頑張っていないように見えるとしても本人は一所懸命なのです。
こんなに頑張っているのにこれ以上どう頑張れと言うんだ、という風にパニックになってしまいます。
私も精神疾患を抱えているので、その気持ちはよくわかります。
わかる、はずなのですが。。。
つい言ってしまいました。
「頑張れ」と。
後悔しましたが、後の祭りです。
恐る恐るAさんの表情を確認しました。
すると、少し不安そうではありましたが、笑顔で、納得してくれたような表情でした。
私の言葉で傷ついたのでなければ、私としては一安心です。
その日のデイケア終了時、私がロッカーでカバンを取り出そうとしていると、Aさんが近寄ってきました。
「今日は楽しかったです。色々お話ししてくださってありがとうございました。」
そう言い、Aさんは帰っていきました。
コミュ障の私にとって、人とコミュニケーションを取るのは難しいけれど、勉強になるしなんだか楽しいなあ。
そう思いながら私も帰路についたのでありました。